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2007.01.21

放送の概念の見直しについて提案_2006-8-13初稿を加筆

このようなblog等で過去の放送番組についてコメントするとき、読む人がそれを容易に参照することができないという問題がある。
これは文字ベースの刊行物ならば、最悪でも国会図書館へ行けばほとんどのものは見ることができる。
ところが放送では、NHKアーカイブズのあるSKIPシティへいっても、すべてが見られるわけではない。民放ならなおさらである。

放送という概念、また放送法というものに縛られず、保存したものを誰でも自由に流通させてよいようにすべき
これは録画時にはCASカードの登録情報を画像自体に透かしとして埋め込む技術が前提となる(*)。
著作権管理が必要なものは、権利者またはその管理者としての放送局等が、視聴のための解除キーを支給する役割を果たす。そしてわずかの課金をそこで行うようにすればよい。
つまり、コピー配布は自由とし、視聴する時には必ず前記のキー購入が必要、というしくみ
(*通常のDVD等のメディアに落として配布する、通常の再生ができる動画ファイルとして公開する、等を行っても、それを行った者が特定される。)

これにほぼ同じものは、NHK放送技術研究所で開発されている。ただし、放送という枠からは抜け出せずにいる。「誰でも自由に流通させてよく」の部分だけは、容認されそうにない。技研公開で尋ねても、家族等の間でだけしか、コピーの視聴権は購入できない(私的複製の範囲)という。この縛りは解けそうにない。

今、法体系の見直しがされているようだが、この放送法と著作権法からくる原則までは崩せそうにないようだ。
ただし、今の放送とは別のところで、通信としてのサービスならば、可能性は残されているが、そこで放送と同内容が流されるかというと、そうはいかないだろう。(地上波のIP再送信も、特別に管理された方法を用いるらしい。)
最近の他メディアへの展開を前提にした契約による番組しか不可能。特に過去、二次利用の契約がされていない時代に制作された番組のほとんどについては、出演者や制作者全員の再許諾が必要等の困難があり、なかなか進んでいないという。

ここを解消するために、そういった二次利用の困難な映像資産に関して、「みなし許諾」を適用できるような法改正が望まれる。(つまり、個別の再許諾を必要とせず、一括して許諾されたものとみなす。異議のある出演者またはその代理人等はいつでも要求事項の申請ができる、という枠組み。)(このあたりはネット記事への読者投稿もしたことがある。)

以上のようにすれば、放送局の側も、(民放の場合)二次利用の収入が本放送での広告収入による利益を上回るものが得られる場合も多いだろう。(放送後に話題になったものや、人気番組の見逃しによる購入需要は、非常に大きなものがあるはず。たとえば1%弱の世帯の事後購入で数十万ビュー、100円程度の課金でも数千万円の単位。これは初期投資回収が済めば売り上げの大部分が利益になるので、局側にとってもおいしいはず。)*←この点については、技研公開2007にて、説明員との話の中で、著作権処理、エンコード等の手間と費用はかなりかかるとのこと・・・(2007.5.26追記)
一部の提案では、広告(CM)を含めた再配布で、再生時にもCMをカットできない形であれば、という意見もあるようだが、それだけでなく、追加支払いの形もあったほうがよい。安価に設定すれば、利用者も権利者側もハッピー。(Googleのような手法が流行りではあるが、横に文字が表示されるのではなく動画を強制的に見さされるのではたまらない。)*←この点も、同様に、既にその辺りは技術的には特許も出しまくってとっくに考えている、ただ運用面で問題があるだけだとの説明があった(2007.5.26追記)

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以上、提供側にアピールする議論に偏りましたが、実際、放送法の縛りだけでなく、権利者側の、海賊版を恐れるが故(だけとも思えないが)の消極的な姿勢(*注)によって、利便性を考えた、視聴者の要求に応えるものがなかなか実現しない現状にやりきれない気持ちからの提案です。
実際、人間の文化の根本的意義からしても、知的欲求を、放送という垂れ流しの媒体のせいで後で取得できないというのは、あるべきでない事態です。

考えてみてください。放送というのは、文字や画像を紙というメディアに固定して複製する「本の出版」と異なり、当初は記録媒体が流通するには高価過ぎたという時期の慣習が続いているだけのものであるということ!
その時々の最新情報は、文字では瓦版〜新聞という形があるが、これは形に残るしスクラップをデータベース化し提供する会社もある。音声ではラジオ、映像はテレビとなったが、当初は生放送で、フィルムや磁気テープによる事前制作はできても、当初はメディア(磁気テープ)が高価なため大部分が保存されずにいた。しかし放送番組は決して単なる速報ニュースのみでなく、文字ベースの書籍や雑誌と同様の番組も作られる。その時はつまらないものでも資料としての価値もある。ならば、メディアに固定し、あとでいつでも容易に参照や複製販売されるべきものであるのは当然。それを、1度や2度の放送しっぱなしを原則とする契約や法の規定があり続けていることのほうがおかしい!DVD等のパッケージメディア化されるものはわずかにすぎない。このことがなぜ早く改められないのか?!!!


(*注) 映画製作会社も放送局も、個人に対し映像資産の複製を提供することに極度に神経質であるのはなぜでしょうか?絶版になった作品も、数が出ないと再発売しない、販売さえされていない作品のコピーも、その分のお金を払うと申し出ても許さない、という姿勢は、罪として指弾されるべきです。売っていなくて入手不可能なものでも、他人の持ているものを貸してもらってのコピーを許さない、という理不尽!販売した場合の何倍の著作権料になっても、その分の料金を支払えば許可すれば良いものを!!

それを許すと勝手にコピーされることを捕捉できず、権利者の利益が確保できない、法律でも保護されている、というお決まりの説明をされる。しかしそういった主張は、逆立ちした考えだ。だれのための資産なのか、が頭に無い。権利者としての利益確保を優先させた枠組みにしがみついている。映画出演者等の意向を配慮というような側面もあるがそれが全てではない。

米国では動画投稿サイトと組む動きもあるのに、日本では反発が強いという状況(参考記事)は象徴的。

コピーコントロールをそれほど気にするなら、もっと技術を積極利用し、アーカイブ化の手間をかけてでも十分に成り立つ仕組みを構築すれば、テレビでいえば現状の視聴率を追う体質も、もっと内容重視に変わってくるのではないでしょうか。(過去の人気番組のDVD化のビジネスだけは盛んですが・・・)
(蛇足ですが、現状、視聴率は、録画視聴率も考慮されるべきと思います。残しておきたい大事なものは録画するので視聴率に出ず、見て終わりでいいものがライブ視聴率に出るという傾向が少なからずあると思いますが・・・)

(参照)法令データ提供システム

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